県庁所在地

郡山は明治初期、安積野と呼ばれ、水の便が極めて悪く農耕に全く適さない不毛の地で、開拓されるまでは県庁を置くにはふさわしくない場所でした。
また会津は新政府と激戦を交わした「賊軍」の地であり、いわきは中通りとの交通の便が悪く対象外でした。残ったのは福島で、新政府との軋轢も少なく、ある程度栄えていて、当時は阿武隈川経由で、太平洋との水運もあったなどの理由で福島市に決定したようです。
東西150km以上ある横長の形をした島根県でも同様に、東端に県庁があり、西側の県民にとっては様々な点で負担を強いているようです。かといって県庁所在地を変えるとなると莫大な予算が必要となり、移転するには現実的には厳しいでしょう。人と人が向き合うウェットな場は大切にすべきですが、事務的でドライな事項はもっとデジタル化を推進してほしいと思います。
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